1987年6月

 追われるような日本での生活に比べて、海外では忙しいなりに、親子水入らずの時間が持てる。日々成長しつつある子どもにとって、毎日が貴重なチャンスなのだから、限られた滞在期間中に少しでも多く、その国の文化に生で触れさせる機会を得たいものだ。
 年中行事への参加はもちろん、文化の国際的バロメーターであるオペラやバレエも親子で鑑賞しておきたい。オペラや歌舞伎は、見慣れるほど味わい深くなるものなのだから。

おっちょこちょ医

 ヘーワ町はデルタ国の......と始まるように、次々と出てくる地名や人名が、ことば遊びになっている。"主人公のトレ・ディストレ先生やヤン・ドースルなどが次は何をするだろう"と読者に思わせる奇想天外な話の展開に、どんどん読み進んでしまう。第一部ではヘーワ町の人々とおっちょこちょいのディストレ先生とのかかわりが、第二部では戦争に巻き込まれた人々の様子が書かれている。
 "おっちょこちょ医"の先生が「故意のうそだけは、ゆるしてはいけない。それをゆるしたら人間は、もう人間じゃない」「ためらうなよ。人をすくって罪になるなら罪をおかせよ」と語ることばで分かるように、子どもには、今の大人が目をつぶりがちな真実を貫き通せる大人に育ってほしいという作者の願いが込められている。


CD付 母と子の音楽図書館 9 チャイコフスキー

 「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」の音楽は多くの人に知られているが、その作曲をしたチャイコフスキーがどんな人だったか知る人は少ない。
 「おかあさん、とりのけてちょうだい。いろんな歌がいっぱい、ぼくの頭の中にいるの!」とピアノの前で泣く七歳半のチャイコフスキーは、夢見ることばかり好きで、甘ったれの弱々しい子どもだった。当時ロシアでは音楽家の地位は低かったので、心配した彼の両親は堅実な道を進ませようとする。が、天賦の才能にあふれた彼にとって、音楽への道は既に開かれていた。
 チャイコフスキーの感動的な生涯を知ることによって、音楽をより身近に感じ、曲に秘められた作曲家の生き方が浮かび上がってくる。


あかいふうせん

 これは、ことばのない絵本である。ことばはないが物語はある。それをここに記すのはよそう。私が読めば私の物語、あなたが読めばあなたの物語になるのだから......。
 母親はこの絵本を子どもに読み聞かせる時「これはふうせんね」「これは花ね」「アラ、蝶々」と絵の説明はしないでほしい。子どもの心の中では、風船は膨らむ前からリンゴなのかもしれないし、花は咲いたときから実は蝶々なのかもしれないのだから。作者が子どもの心になって描いたこの本を、自由に楽しませてやりたいものだ。お母さん自身の想像力がかれていたとしても「ハイ、これを読んでお話を作りなさい」などと、間違っても強制はダメ。
 日本版に挟み込まれている渡辺茂男氏の解説が素晴らしい。


なんげえはなしっこしかへがな

 おばあさんが子ども達に語る「果てなし話」。いつまでも繰り返していたくなる調子の良さと、ことば自体のおもしろさ、「十年と九十三日」などと終わるのも、語られる話ならではの楽しさである。絵も良い。日本の自然がはっとする美しさで描かれている。