1989年5月

 近頃、面と向かって話していても、相手のことばを聞いていない人が増えてきている。一説によるとテレビの影響だそうで、画面から語りかけるのを、横目で見ながら家事を続ける主婦に多く見られる現象であるという。積極的に見たいと思う番組以外はテレビを消して、聞くだけならラジオを活用するように心がけたい。
 子どものテレビ清けを直すには、まず親が正しくテレビを見る態度を示し、楽しく本を読むことである。

おぼえていろよおおきな木

 大きな木の陰の小さな家に住んでいるこのおじさんは、この大きな木がどうも気に入らない。鳥が集まってきてうるさいし、洗濯物を干せば日陰になってしまうし、ハンモックをつって眠れば毛虫が落ちるし、ろくなことはない。
 そのたびに「おぼえていろよ」と大きな木をけとばすが、ある日、とうとう我慢できなくなって切り倒してしまう。
 ところが邪魔でたまらなかった大きな木がなくなってみると、おじさんの生活は不便なことばかり。そして......。
 いろいろ教訓を含んでいるが、子どもに読み聞かせたあと、あれこれ言いきかせたりしないでほしい。親が余計なことを言いさえしなければ作者からのメッセージはちゃんと子どもの心に届くのだから。


エンデのいたずらっ子の本

 子どもを対象にした詩の本というのは、ことばの感覚を養ううえからも非常にたいせつなのに日本には少ない。ことばをたいせつにしない漫画家の激増と、子どもを忘れた、大人向きの詩人の多さが一因なのだろう。
 ミヒャエル・エンデはこの本に、子どもと、子どもの心を忘れない大人のために、皮肉とユーモアを混じえ、楽しい詩を書きつづっている。「詩」という気取りを捨てて子どもの心に直接とび込んでくる、こんな詩集がもっとほしい。


おもいでエマノン

 エマノンとはNO NAMEを逆さから読んだもので、この本の主人公の名前である。この名前のつけかたからも分かるようにとても酒落た本で、七つの短編からなっているのだが、その主人公はどれも、同じひとりのエマノンでありながら、別の時代、別の世代を生きついでいる。
 せっかくおもしろいSFなので、ここにはストーリーは書かないことにするが、一九六七年から始まって、一九七三年、一九八八年と、少しずつ作品の舞台が時代の流れを追って二十一世紀まで、どの物語をとっても永遠の記憶をもってしまったエマノンの悲しみが、ロマンティックに描かれている。
 SF好きの少年にも、夢見がちの少女にも共に楽しめる一冊である。


ぼうし

 五月人形でおなじみの、桃太郎や金太郎になぜか帽子をかぶせ、作者は昔話の主人公で遊んでいる。「あなた いつまで かぶっているの」の繰り返しが優しい。但しこれを読むのは桃太郎等の話を先に聞かせてやってから。