1988年8月

 ふたりの息子といっしょにいると、いつのまにか始まるゲームがある。「ゲームっていえば後楽園にできたね」「あれは東京ドーム」
「国税庁でやっている⋯⋯」「それは税務」「古いけど高橋圭三って人が『どうもどうも』」「古いね」「ふるいっていうのは粉をふるったり」「違うよ、人が落ちたり幽霊がでたり」「それは古井戸」と思いがけない語彙がキリもなく広がる。
 このゲームは日本語ができても頭の固い大人より、帰国児の方がうまい。ことばを、意味より音で捉えることができるからだろう。

とらときつね

 日本に、きつねという頭の良い動物がいると聞いた中国の虎がわざわざ日本にやって来るが、きつねのとんちに、まんまとひっかかって、すごすごと中国に帰ってゆく。
 何回競争しても虎が負けるのはなぜかという謎を、読者に考えさせながら話を進めてきつねの手管を知って悔しくてたまらなくなった虎は、自分によく似た、猫、という生き物を作って日本に住まわせることにした。それで、今でも日本に猫がいるのです、という、いわれ話にもなっている。
 村上幸一の絵も暖かく、幼い読者達にありがちな強がりを、さりげなくたしなめているようである。


フョードルおじさんといぬとねこ

 フョードルおじさん、というあだ名の、幼い、けれどもとても頭の良い男の子が、人間のことばを話す捨て猫を連れて家出をするお話。
 ホラ話となると、なかなかロシアの民話にはかなわないがこの物語もロシア的なおおらかな荒唐無稽さで楽しませてくれる。
 ガソリンの代わりに人間の食べ物で走る、小さなトラクター等、男の子の愉快な夢が、スズキコージの挿絵でより生きいきと描かれている。


シャーロック・ホームズ 死者からの手紙

 まず最初に断らねばならないのは、これは文学ではなく、ゲームだという点である。
 おなじみのシャーロック・ホームズの登場人物と背景、ありがちな設定とを巧みに組み合わせて一つの事件を作り、読者は紙と鉛筆を手に、その謎を解いてゆくという趣向である。
 付録としてロンドンの地図や住所録、当日の新聞などが入っていて、指示通り推理を進めると臨場感もあり、大人にもおもしろい。


 南半球に住めば夏は七、八月ではないし、その暑さも国によってさまざまである。
 今はもう日本の風景になってしまった感のある歩道橋と、繰り返し書かれている音の響きが、日本の夏のあの暑さをよみがえらせる。