1987年2月

 海外であれ、帰国後であれ、適応で問題になるのは、まずことばである。読めない、話せないという帰国児は少なくなったが、ことばのニュアンスのずれは、教科書だけ学んでもどうしようもない。
 例えば「暗いうちに起きる」といえば日本では朝の5時ごろだが、冬のヨーロッパなら8時ごろ、起きねば学校に遅れる時間である。
 ことばは体験を伴わねば理解しきれない。日本にいない何年分かの言語体験を補い得るのは読書だけである。

太陽の東 月の西

 この本に集められたノルウェーの民話は、100年ほど前にアスビョルンセンとモオというふたりの民話研究家がまとめた中の、おもしろいもの18編であり、その中の一つをこの本の題にしている。"海の水はなぜからい?"のように日本民話と同じようなものもあり、トロイやアシェランドなどの物語は、大蛇や太郎の物語に置き換えることができそうである。
"太陽の東 月の西"という題名だけでも、どこの話だろう、ロマンティックな題名だなぁ、どんな話かな、と興味を引かれ、ぐんぐん引き込まれてゆく。そして北欧の厳しい自然やのどかな風景、心暖かな人々が、読んでいくうちに身近に感じられてくる。


虹を盗んだ男

 絵を描くことの好きな少年クリスは、ある日虹の美しさに心を奪われ、何とかその色をキャンバスに写そうと夢中になる。本業の木こりも休みがちになり、町の人々からも忘れられてひとりぼっちになるが、何年か後、クリスの小屋の近くを通りかかった友人は、小屋から虹の色があふれ出ているのを見つける。
 ところどころに出てくる大人のことばがなければ、もっと幼い子にも楽しめるのに、と残念だが、いかにも手描きらしい絵と美しい色づかいが、子どもの心をひきつける。
 創造力(クリエイティヴィティ)を大切にする海外の教育を受けている子どもには素直に読める本だが、今の日本の技術指導的絵画教育を憂うる身には、複雑な読後感の残る一冊である。


おしいれのぼうけん

 本屋の店頭で高校生のカップルが絵本を選んでいた。
「あっ、この本、小さいころ好きだったのよね。何回も読んじゃった」と手にとっていたのが、この本である。
 幼稚園できかん坊がふたり、いたずらをして閉じ込められた押入れの中で、何とか先生にごめんなさいを言わずに頑張ろう、と助け合う。
 押入れではネズミが出てきてふたりを脅かしたりするが......。
 板壁の木目が恐ろしいネズミばあさんになったり、洞穴になったりして冒険が始まるのも、子どもにとってはリアルな話である。
 先の高校生は、5年生ごろまでこの本を読んでいたと言う。良い絵本全盛時代の、もう古典とも言える本だが、今の子ども達には新しい。


さんまいのおふだ (こどものとも傑作集)

 よく知られたおにばばの民話が、新潟に伝わる語り口のままに書かれている。節分の宵、鬼から身を守ろうとした昔人の思いを、読み聞かせるのも有意義だろう。