1984年8月

 欧米では、子どもが寝る前に本を読んでやるのが習慣になっている。鳩が雛鳥に自分の胃で消化した餌を与えるように、一冊の本を親の心で消化し、親の声で読み聞かせる。同じ文章でも、悲しい思いで読むのと嬉しく感じながら読むのとでは、物語の印象が変わってくる。親の都合で、カルチャーショックを与えられる子どもへの罪ほろぼしに、せめて毎晩十五分、本を読んでやる習慣を持ちたい。

なにをたべたかわかる?

 ねこが魚を食べてしまいました、というだけの話なのだが、実はこの魚、ねこに釣られてから担がれて行く間に、ねずみとうさぎと犬と狸と狐と豚とゴリラを食べていき、最後にねこも食べられてしまうのかなと心配していると、やおら「いただきまーす」と言って、ちゃんとねこが魚を食べる。
 漫画家・長新太の作ったこの絵本は、温かな文章で書かれていて、本嫌いな子どももすぐ気に入ってしまうほどだ。
 "すごいねー、すごいねー、とてもしんじられないなあ"と読みながら、大きな魚を平らげるねこを見ていると、読者もお腹がいっぱいになってしまう。


ふたりのイーダ

 これは、いなくなった持ち主を捜して歩きまわる小さな椅子と、イーダという女の子の物語である。「イナイ、イナイ」とつぶやく不思議な椅子との出会い、イーダが原爆で死んだと知ると自らバラバラにくずれてしまう椅子の哀しみをとおして、読者は死別のつらさと、それを避けられない戦争の怖さを知る。
 戦争を子に語り継ぐことは、親の役目とはいえ、自らの体験を持たない今の親達には難しく、まして、日本の情報そのものが少ない海外で、歪んだイメージを与えずに戦争を語るのは至難の業である。ドキュメンタリー風に生のまま戦争を描いた作品は多いが、日本で読むのとは環境が違いすぎて、子どもの心への影響も案じられる。その点この物語は、非常に優れたファンタジーでありながら、無理なく戦争の傷ましさを浮き彫りにし、なお夢の残る作品である。


トムは真夜中の庭で

 トムは、嫌いな小父さんのアパートで夏の休暇を過ごす羽目になるが、ある夜、その家の古時計が十三を打つと、昼間は見えない裏庭が現れることを知る。トムは、その過去の世界にうまく入り込み、裏庭でであった少女と遊び続ける。そして最後の日に...。
 これは文句ぬきで面白い小説である。特に英国の古い大きな建物に住んで読むと、まるで現実の出来事のように思えてくる。国外・国内ともによく読まれ、英国ではテレビ向けに映像化されるなど、児童文学の古典とも言われる作品である。
 作者のフィリッパ・ピアスは今も健在で、1986年8月に東京で開かれる国際児童図書評議会第20回世界大会には、講演者として来日が予定されている。一つの文学を両面から味わう良い機会でもあり、特に在英の日本の子どもには、ぜひ日英両国語で読んでほしい。


おりがみ1

 日本の伝承遊びの一つである折り紙の教則本は数多いが、この本は絵がよい。色の濃淡を使って丁寧に描かれているので、非常にわかりやすい。折り紙の辞典として、傍らに置きたい本である。